【広告】 鳥海山と東北の氷河期 (加藤萬太郎 著)


鳥海山の形成過程と氷河の痕跡
加藤萬太郎(秋田県立西目高等学校)[当時]
Trace of a formation process and glacier of
Mt. Choukai
:Mantaro KATO
研究の経過
鳥海山(標高2230m)の山頂部は氷期には雪線上に出ていたと推定されているが、氷河の痕跡は知られていない。筆者は1972年から秋田県立博物館設立準備に従事し、県内全域を踏査した際、氷河の痕跡と思われる地形に注目し、その分布を調べた。特に谷氷河が発達していた可能性が大きい地域として鳥海山麓の奈曽渓谷を選び調査を試みた。その成果をまとめ、1976年日本地質学会東北支部総会で「秋田県の氷河の痕跡と鳥海山の泥流」と題し、秋田県内には氷河の痕跡と見られる地形が各地に見られること。鳥海山麓の奈曽渓谷は深いU字形をしており、下流に分布する泥流体積物には擦痕が見られることから奈曽渓谷に谷氷河が発達していたと推定されると発表した。このことについて大橋良一、渡辺武男先生から擦痕は火山崩壊でもできる。カ−ル、先鋒、U字谷は、その地点の地質を考慮し、慎重に研究を進めるようにとの指導を頂いた。続いて1972年には、象潟泥流の分布調査と14C年代測定の成果に基づいて、「B.P.2600年の鳥海山の大爆発と象潟泥流」について発表した。
鳥海山の形成過程
その後、鳥海山周辺の岩屑なだれ、土石流、火砕流堆積物の分布調査を行い、その成果は1980〜1986年に亘りその都度学会で発表している。 1989年にはそれまでの調査結果をまとめて、鳥海山の形成過程を次の五段階とする案を発表した。
1. 初期鳥海火山体形成期
2. 初期鳥海火山体崩壊期
3. 西鳥海火山体形成期
4. 東鳥海火山体・猿穴火山体形成期
5. 東鳥海火山体崩壊とその後
一方鳥海山本体に関する岩石学的研究は東北大学、秋田大学を中心に進められ、それらの成果を総括して1992年、地質調査所から「鳥海山及び吹浦地域の地質」が発行された。その中では鳥海山の噴火過程をステ−ジT、Ua、Ub、Uc、Ud、Va、Vbに細分している。
そこでこれらのステ−ジ区分とこれまでに発表されたk-Ar年代測定値、氷河期の各ステ−ジを対応させながら、鳥海山の形成過程を次の7段階に細分した。
1) 鳥海火山創生期、約50万年前、ミンデル氷期、天狗森火砕岩の形成
2) 初期鳥海火山体形成期、40〜20万年前、ミンデル・リス間氷期、ステ−ジ Tに対応
3) 初期鳥海火山体の解体期、20〜13万年前、リス氷期、西鳥海周辺に分布す る腐り礫化した泥流堆積物、大台野火砕流、観音森火山出現し段丘堆積物に 覆われた海岸部の溶岩が流出、ステ−ジUaに対応
4) 西鳥海火山体形成期、13〜7万年前、リス・ウルム間氷期、西鳥海火山体と 初期東鳥海火山体出現、ステ−ジUb-cに対応
5) 西鳥海火山体の解体期、7〜2万年前、ウルム氷期、初期東鳥海火山体の崩 壊、由利原・上原泥流発生、周辺山麓の峡谷形成
6) 東鳥海火山体・猿穴火山体形成期、2万年〜2500年前、ステ−ジVaに対応7) 東鳥海火山体の崩壊とそれ以後の噴火、ステ−ジVbに対応

氷河の痕跡

このように鳥海山の形成過程を細分してみると、鳥海山は、間氷期に大きく成長し、氷期には火山体の解体が進行したことが分かる。このような氷期の激しい浸蝕は山岳氷河の存在を暗示している。氷河があったに違いない。その痕跡が残っているとすれば、初期火山体の一部と見られる稲倉岳の周辺であると考えて、稲倉岳の地形を見直した。これまでは火山活動という視点から見てきた鳥海山の地形を氷河地形という視点から見直すと、これまで火山性崩落崖または火砕流のフロ−チャンネルと見てきた地形は氷河による浸蝕地形とも見られる。その確かな証拠を求めて、1973年の冬に氷河地形の調査を試みた奈曽渓谷に1997年7月18日に改めて調査に入った。その結果、氷河の痕跡と見られる羊頭岩、U字谷の側壁に刻まれた擦痕、谷間にはエスカ−と見られる礫の尾根が連なっていることが確認された。奈曽渓谷の下流には小滝泥流堆積物と呼ばれる泥流堆積物が知られているがこの堆積物も奈曽渓谷を流れた山岳氷河の産物と見られる。小滝泥流堆積物を構成する岩石は西鳥海火山体の安山岩(リス・ウルム間氷期)であることから奈曽渓谷を流れた山岳氷河の活動期はウルム氷期である。氷河の末端は標高300mに達していた。鳥海山における氷期の浸蝕地形(カ−ル、凍結融解による崩落崖、雪崩の滑落崖)の分布範囲は標高500m以上である。当時の雪線高度は標高1000mと推定されている。
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鳥海山と東北の氷河期


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